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第一次世界大戦における対立構造の成立

更新日:2022年1月19日



第一次世界大戦の対立構造となる三国同盟と三国協商。似たような名前ですが、その参加国や動機、内容は大きく違います。最初にその成立について、当時の世界情勢を交えて解説していきます。




三国同盟と三国協商の成立


 ウィーン体制の崩壊から22年、1870年7月から1871年にかかってフランス帝国とプロイセン王国の間で普仏戦争が行われ、プロイセンは北ドイツ連邦など神聖ローマ諸国と同盟を結びフランスに圧勝します。近代戦争と現代戦争の分岐点と言われるこの戦争を契機に、旧ドイツ連邦の解体により除外が濃厚となっていた議長国オーストリアを除いたドイツ統一が達成されると同時に、フランス第二帝政は崩壊しました。

 この出来事から、のちに続くドイツ対フランスの対立構造が顕著に現れます。


 ドイツはフランスを外交的に独立させるため、三帝同盟、三国同盟、独露再保証条約の「ビスマルク体制」を採用。後継のヴィルヘム二世が勢力の拡大のための帝国主義政策を押し進める一方で、他欧州各国との協調関係を重要視した政策でした。




 そのビスマルク体制を構成する主な同盟が次の三つです。

三帝同盟

1873年に、ドイツ、ロシア、オーストリア=ハンガリーの三国により結ばれた、武力攻撃や革命の脅威に協力を約束した軍事同盟です。

バルカン半島におけるロシアとオーストリア=ハンガリーの対立で有名無実化します。バルカン半島の情勢に関する詳細は後に記述。

三国同盟

三帝同盟の無力化により、それに変わる形で1882年にドイツ、イタリア、オーストリア=ハンガリー間で結ばれます。のちに第一次世界大戦の勢力となる秘密防御同盟です。前年の1881年4月のチュニジア占領にて、フランスとイタリアの接近を遅れたドイツがオーストリア=ハンガリーを説得し締結しました。


独露再保障条約

ドイツとロシアの二国間における秘密条約です。三帝同盟における同盟国、オーストリア=ハンガリーへの通告なしに結ばれました。三帝同盟に重ねるように新たな条約を結んだことから、別名二重保障条約と呼ばれます。



こうしてフランスを孤立させる外交体制を固めていたドイツですが、1890年にビスマルクが引退し、ヴィルヘム二世が即位すると、フランス以外の欧州諸国との協調を重視した外交から、帝国主義的なものへと変化します。

 それによる政策の変化及び影響が主に次の三つです。



① 独露再保障条約の更新拒否

 3年の期間満了のためロシアは更新を要請するも、ドイツは拒否。その結果外交的に孤立したロシアは、同じくドイツに外交的独立を図られるフランスに接近、1894年に「露仏同盟」が締結されました。


②3B政策

 ベルリン, ビザンティウム(現イスタンブール), バグダードのBを頭文字とする三都市を結ぶ鉄道を建設する政策です。イギリスの3C政策に抵抗するもので、バルカン半島においてロシアの南下航路と衝突するため、二国間の溝を深めることとなります。


③ 海軍の増強

 1898年「第一次艦隊法」と1900年「第二次艦隊法」の成立します。

これはイギリスを強く刺激する要因の一つとなり、それまで貫いてきた、他国と同盟を結ばない「栄光ある孤立」を、ボーア戦争の苦戦やロシアの極東における南下、ドイツへの警戒を考慮し放棄へと方向転換します。

 そうして成立したのが1902年の日英同盟です。

 さらに、「第二次艦隊法」は「イギリスに対抗できる艦隊の設立」を宣言したものであったことを踏まえ、イギリスはドイツを強く警戒、ドイツの敵国であるフランスとロシアと手を組みドイツに対抗することを選択します。

 そうして1904年に「英仏協商」を、1907年には「英露協商」を相次いで締結、

これらの「露仏同盟」「英仏協商」「英露協商」の三つをまとめて『三国協商』と呼びます。




こうして成立した第一次世界大戦の情勢ですが、戦争が始まるきっかけの出来事はバルカン半島にあります。




バルカン半島の紛争とサラエボ事件


 長い間バルカン半島をはじめとする地中海の覇権を握っていたオスマン帝国の弱体化により、強い勢力を持っていなかったバルカン半島は、地理的にも非常に重要な場所であったため、欧州の列強諸国が併合を目論み、情勢が揺らいでいました。

 そのなか中から頭角を現したのが「パン=ゲルマン主義」を主張するオーストリア=ハンガリーと「パン=スラヴ主義」を主張するロシアです。これらはそれぞれの民族の独立や統一を目指すもので、バルカン半島進出の足掛かりでもありました。


 その不安定な情勢の中起った『サラエボ事件』の概要は、オーストリア=ハンガリーの併合する自領ボスニア=ヘルツェゴビナにて、フランツ=フェルディナンド大公夫妻がセルビアの青年に暗殺されるものでありました。

 これに対しオーストリア=ハンガリーがセルビアに宣戦布告。戦争の火蓋が切られます。

 サラエボ事件を実行した少年がロシアの主張するパン=スラヴ主義者であったためロシアが総動員令を発令。さらにオーストリアの同盟国であるドイツがロシアに宣戦布告と三国同盟・三国干渉に属する諸国が芋づる式に参戦し、第一次世界対戦が始まります。





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