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karinyamada7102005

神聖ローマ帝国という概念について



 「かっこいい世界史用語ランキング」で一位を獲得した『神聖ローマ帝国』ですが、過去に存在した国家であると知る人は多いものの、あまりに結束が弱かったりと「一つの国」であるかは議論の余地があります。この記事では、その神聖ローマ帝国について端的に解説します。



 「神聖でもローマでも帝国でもない」と18世紀のフランスの知識人, ボルテールが発言していますが、帝国の形の変わった18世紀や現代においては神聖ローマ帝国はとても帝国とは言い難く、ローマ帝国の理念を引き継ぐものの本当にローマでも帝国でもありません。根底として、「神聖ローマ帝国」の名称に引っ張られないことがこの国家を理解することに必要です。



 962年から1806年にかけて現在のドイツとなる地域に存在していた神聖ローマ帝国ですが、紀元前27年からイタリア半島を中心地とし存在した「古代ローマ」とは別物です。正確には、古代ローマ帝国を再興した西ローマ帝国を継承し、ローマカトリック教会のキリスト教世界を守護する理念から神聖ローマ帝国の名称で呼ばれます。ローマを中心地とした古代ローマとは違い、ローマを領土として保有している訳ではありません。もちろん首都はローマではなく16世紀までがウィーンで、それ以降がプラハとなっています。

 ただ「ローマ」の名称やその理念から、ローマを保有することに執着をしていたことが歴史上の行動を見ても分かります。



 神聖ローマ帝国の名称にある「帝国」はあくまで「西ローマ帝国を再興した国家」の意味であり、国家の構成を表すものではありません。そのため帝国という名前でありながら連邦国家であり、プロイセンやオーストリア, バイエルン, ザクセンなどの諸公国によって構成されています。 



 皇帝を選ぶ制度は「選帝侯」と呼ばれる諸侯の権力者が選出するというもので、決して中央集権的でなく、諸公国の権力が非常に強いことが特徴として挙げられます。1404年以降はほとんどオーストリアのハプスブルク家が皇帝の座を世襲し、諸公国の中でも強い権力を示していました。



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